お祭り

「行ってくる千冬」
「ちょっと待ったタツキちゃんもう少し飾っとこうか」
 玄関に行こうとするタツキを呼び止め、千冬は後ろで縛っただけのタツキの髪に触れた。一度解き高い位置で結い上げ、ヘアゴムの上から赤い花飾りを留める。
「これでよし」
「……慣れてない?」
「や、やだなーそんな冷たい目で見るなよ、パパは葉月ちゃん一筋だぞ」
「……母さん髪長くない」
「細かいことは気にすんな、ほら遅れるぞ」
 疑いの眼差しで睨んでくるタツキを外へと促し千冬は玄関を閉めた。

 屋台が並ぶ神社の、鳥居の近くに大介はいた。
「先輩」
 少し離れているものの声は聞こえたようで、大介が辺りをキョロキョロと見回した。そばまで近寄り大介の青い浴衣の袖をつかむと、こっちを見て驚いたような表情を浮かべた。
「タツキさん……なんて美しい……」
「千冬が選んでくれた」
「そ、その赤い綺麗なお花の髪飾りも」
「家を出る前に、千冬が」
「お義父さんが……」
 大介はじっとタツキの頭と髪飾りを見比べた。綺麗な黒髪の上にちょこんと乗っかっている赤い花。紺の浴衣を着て大人びた感じのタツキとは対照的に可愛らしく見える。
「……変?」
「いっいえとんでもない、よく似合ってますよ! あまりにも素敵なものですから、思わず見とれてしまいました」
「……ありがとうございます……」
 タツキが恥ずかしそうにうつむく。心なしか顔が赤いように見える。
「で、では一緒に行きましょうか」
「……はい」
 差し出した手が軽く握られた。喜びのあまり声をあげそうになるのをこらえ、大介はタツキの手をひいて歩き出した。

「まー君まー君まー君!」
 ピンク色の浴衣を着た美月が、職員室に駆け込むなり雅也に飛びついた。
「どうしたんだい美月ちゃん」
「お祭りいこーっ」
「タツキちゃんといっしょに行けばいいだろう……ああそうか」
 確か大介がタツキと夏祭りに行く約束をしていたんだった。
「タツキちゃんと一緒に行きたいなあって思ったけど……タツキちゃん人ごみ嫌いみたいだし、まー君と一緒に行きたいなって」
 美月が甘えるように雅也の背中に顔を埋める。どうやらタツキが大介と夏祭りに出かけていることを知らないようだ。
「ねぇまー君、一緒に行こうよぉ」
「いいけど、僕服このままでいいのかい? せっかく美月ちゃんがカワイイ浴衣着てるのに」
「いいの、まー君かっこいいからこれでいいのっ、ねえ行こうよー」
「うーんわかったからちょっと静かにしてくれないかなあ」
 ここは職員室。浴衣姿の女子生徒に抱きつかれて夏祭りに誘われる雅也に好奇や軽蔑の眼差しが向けられる。羨ましそうにこちらを見る男性教師もいた。
「これ片付けたら仕事終わるから、それまで部室にでもいて待っててくれないかい」
「わかった、わーいまー君とデート!」
「ああもう美月ちゃん!」
 遠くでロリコン、と呟く声が聞こえてきた。

「先輩は食べないんですか?」
「……あ、何か食べようとは思うんですけど、迷っちゃって」
 慌ててタツキから目をそらし大介は答えた。タツキの手元にはりんごあめ。りんごあめをなめる口元を眺めながら「りんごあめになりたい」なんてぼんやりと考えていた事は知られたくない。
「先輩」
「は、はいっ!」
「首、もう痛くないんですか……?」
「もう大丈夫ですよ」
 それでも心配そうに首筋を見るタツキに、大介は笑みを返した。
「気にしないでください。痛みはありませんし、おかげさまでこうやって貴女と一緒にいられるのですから……むしろ嬉しいくらいですよ。少しでもタツキさんと一緒にいる時間が欲しいなって思ってましたし」
 じっと自分を見つめるタツキの視線に気付き、大介の顔が赤くなる。
「ですから、一緒に花火を見ませんか? 始まるのはもう少し暗くなってからなので、帰りが遅くなってしまうのですが……」
 タツキの様子を窺うと、返事に困っているように見えた。
「す、すみません無理言ってしまって……」
 誘いを取り消そうとした大介の腹が鳴った。
「……カレー、食べますか? 千冬が勝手に食べてなければ、まだ残ってるはずです」
「た、タツキさんのカレーですかっ!」
「食べ終わる頃には花火も始まってると思いますし……家から見えるかはわかりませんけど」

「まー君、誰か探してるの?」
 辺りを見回し、屋台以外の何かに視線を向ける雅也に美月は唇を尖らせた。
「えっ……別に何でもないよ」
「むうう」
 生返事できょろきょろする雅也の腕に、美月は胸を押し付けた。
「どうしたんだい美月ちゃん、かき氷ならさっき食べただろう」
「……まー君の馬鹿」
「……どうかしたのかい」
 ようやく目が合った雅也を軽く睨み、美月は雅也の腕に顔を埋めた。
「まだ何か食べたいのかい?」
「違う」
「眠くなった?」
「違う……せっかくまー君に見せたくて浴衣着たのに、まー君違う女の子見てるんだもん」
「誤解だよ」
 美月の頭を撫でると、鼻をすする音が聞こえた。
「うわーんまー君が浮気したー」
「違うよ、ほら、大介君とタツキちゃんがいないかなって思って探してただけだよ」
「タツキちゃんと大介君が一緒にいるわけないじゃん」
 この様子だとタツキから本当に何も聞かされていないようだ。
「そうだよね、ごめんね美月ちゃん。あとで浴衣姿の写真撮ってもいいかな」
「……可愛く撮ってね」
 美月の機嫌が治ったようだ。
「あとね、焼きそばとアイスクリームも食べたい」
「まだ食べるのかい?」

「いませんねお義父さん」
 カレーを口に運びながら、大介は辺りに目をやった。外出しているのだろうか、千冬の姿はどこにもなく、2階からも物音ひとつ聞こえない。大介の向かい側ではタツキが小皿に盛ったカレーを食べている。
(2人きり……)
 千冬が不在で、美月がいない。誰にも邪魔されない、2人だけの静かな時間。夢じゃないだろうかと不安になった大介は軽く舌を噛んでみた。痛い。口の中にはカレーの味。夢じゃない。
「ああ、おいしいです。ご飯はいつもタツキさんが作っているのですか?」
「たまに千冬も作ってくれます」
「仲が良いんですね」
「別に。勝手にベッドの中に入ってきたり朝から抱きつこうとしてきたり、変な事ばっかりしてきますよ」
「何ですって!」
 カレーを吹き出しそうになり慌てて口を押さえる。口元から手を離すと、なんとかこぼしていないようだ。からかってくる声も聞こえてこない。2人きりで過ごす時間がこんなにも静かで落ち着いたものだとは。普段の邪魔者があまりにも多すぎる。
 待ちわびた花火の音が聞こえてきたのは、2人がカレーを食べ終え食器を片付けている頃だった。
「あっ」
「ここから見えますかね」
 2人で窓を開け外の様子を窺う。1階では近くの建物で何も見えない。
「先輩、こっちです」
 ようやく捜し当てた花火の見える場所は、寝室だろうか、大きめのベッドがぽつんとあるだけの殺風景な部屋だ。その部屋の窓から身を乗り出し、タツキが花火を見つめている。
「きれい」
「そういえばタツキさん、今年引っ越してきたからこの町の花火を見るのは初めてですよね」
 大介がタツキに一目惚れしてから3ヶ月が経った。そのほとんどが邪魔が入るか土下座しているかで、今みたいに2人で花火を眺めていられる時間なんて夢のようだ。ぼんやりとタツキを眺める大介を、玄関の音が現実に引き戻す。
「お、お義父様でしょうか」
 義父より花火、といわんばかりに窓の外を見ていたタツキも、続いて聞こえてきた話し声で思わず大介と顔を見合わせた。
「ほ、他にも誰かいるみたいですね」
 2人でおそるおそる1階に戻ると、千冬のものらしきうめき声とのんびりとした男の声が聞こえてきた。
「ちゃんと連れて帰ってあげたんだからさ、そろそろ離れてよ」
「あ、あなたが……」
 目立つ青い髪の男。大介は初めて会ったが、彼が以前千冬の言っていた「タツキを狙う怪しい男」なのだろう。見かけたら殴ってもいいと言われていたような気がするが、そんな悪者には見えない。逆に千冬がこの男に介抱されているように見える。
「ちょっと煽ったらこの通り酔っぱらっちゃって。ごめんね、デートの邪魔しちゃったみたいで」
「べ、別にデートと呼べるようなことは……」
「千冬ちゃんはこっちで面倒見とくからさ、2人はデートの続きでもどうぞ」
「大丈夫です、お義父様は僕が見ますから、貴方は帰ってください。ここまで連れてきてくださってありがとうございました」
 多分この男を家に一晩もいさせてはいけない。大介は男から千冬を引きはがそうとしたが。
「あ、君気を付けないと」
「葉月ちゃあああん」
 千冬が泣きながら大介に抱きついてきた。
「う、うわあっ」
「……お酒臭い」
 近くにいたタツキが顔をしかめるほどの臭気。青髪の男も呆れたように肩をすくめる。
「酔ったらコレだよ。別れた奥さんの名前を呼びながら誰彼かまわず抱きつく……本当に君達だけで大丈夫なのかい?」
「だ、大丈夫です」
「ならいいけど……手に負えないようだったら、ここに連絡してね」
 男が名刺をタツキに手渡す。立ち去る前にちゃっかりタツキの頬を撫でていった。
「な、なんて人だ……」
 大介は青ざめた。男を帰すという判断は間違っていなかった。
 目の前の酔っ払いの扱いには困るけれど。

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