お守り

「あれ、タツキちゃん出かけるの?」
 ソファの上で寝転がる千冬に声をかけられ、タツキは足を止めた。
「遊びに行ってくる」
 一言だけ返し玄関に向かう。黒いワンピースの後姿をぼんやりと眺めながら、千冬はあくびを噛み殺して呟いた。
「随分とおめかししてるじゃねーか……」
 そのまま目を閉じる。しばらく眠りについていたが、チャイムの音で目が覚めた。渋々玄関に向かうと、美月がニコニコと笑みを浮かべて待っていた。
「こんにちはー、タツキちゃん居る?」
「あれ、一緒に遊びに行ったんじゃないのか」
「ん?」
 首をかしげる美月に、千冬は今日のタツキのことを説明した。タツキが行き先も告げずにめかし込んで出かけていったと知った美月が頬を膨らませる。
「むぅ、私に内緒でどっか行くなんてずるいっ」
「友達と一緒じゃないなら誰だ……男か?」
「そんなっ、誰よぉっ」
「俺に訊かれても知らないよ」
 美月がうつむき、千冬は黙り込んだ。ここでわめいていてもどうにもならない。
「……タツキちゃんのおとうさん、私、タツキちゃん探してくる。一緒にいるのが男の人だったら殴ってくる」
「よしパパも手伝おう、大事な娘のために頑張っちゃうぞー」
 据わった目で2人は頷き合った。

「神社……ですか」
「ええ。受験がありますし、願いが叶うと評判の神社に行ってみたいなと思って」
 集合先である学校の正門前。ちらちらとタツキを横目で見ながら、大介は行き先を告げた。そばにいるタツキは、以前タツキの義父と図書館で会っていた時に着ていた黒いワンピース姿。一度見ている格好とはいえ、いつもの制服ではなく私服でここに来てくれたことに喜びを隠せないでいる。これならもっとおしゃれなシャツを着てくるべきだった。あれこれ考えるせいで挙動不審な大介をじっと見つめ、タツキは小さく頷いた。
「先輩が行きたいなら、そこでいいです」
「ほ、本当ですか!? ではさっそく」
 ぎこちなく手を差し出すと、しばらくしてタツキが握り返してきた。
「……先輩でも神頼み、するんですね」
「え、ええ。大事な受験ですからね」
 爆発しそうなくらい高鳴る鼓動と湧き上がる罪悪感をこらえ、大介はタツキの手を引いて神社に向かった。
 合格祈願でごまかしたもう一つの目的を、悟られないように。

 タツキの部屋を漁る千冬の耳に、電話の呼び出し音が聞こえてきた。
「はーい」
「こちら美月。ねーねータツキちゃんのおとうさん、ミステリー部の皆に電話かけてみたら、大介君も出かけてるの」
「じゃあその大介君とやらと、タツキちゃんが一緒に?」
「そんなのずるいっ」
 美月の拗ねたような声。きっと受話器の向こうで頬を膨らませているのだろう。
「タツキちゃんのおとうさんは、何かわかったことある?」
「そうだな、部屋見てみたら、カレンダーの今日の日付に『13時正門』って書いてあったけど」
「うわっ、学校で待ち合わせなんて大介君っぽい」
 確かに美月なら、直接タツキの家に乗り込んでくるだろう。きっちり正門と指定しているあたり、真面目なあの少年っぽい。
「タツキちゃんがおめかしして大介君と会ってるなんておかしいよっ。この前のおっきい大介君に何か吹き込まれたか、大介君に弱み握られて脅されてるんだよ。もしかしたら、今頃大介君に変なことされてるかもっ」
「おいおい、物騒なこと言うなよ」
「だって大介君変態なんだよ、いつもタツキちゃんのこと見て顔真っ赤にしてるもん。おっきい大介君なんて私の胸見てたしタツキちゃんの身体触ってたじゃん」
 ちょっと変なだけで真面目で誠実な少年だ。とは思うが美月の話を聞いていると不安になってきた。
「私、タツキちゃんと大介君捜してくる。タツキちゃんが何かされてないか心配だもん。タツキちゃんって脚すべすべしてるし、お肌だって柔らかかったし、おっぱいだってちょっと小さいけど綺麗だったもん!」
「ちょっと待て最後のほうもっと詳しく……」
 受話器を握り締めた千冬の耳に、ツーツーと電話の切れた音が聞こえてきた。

「……人、多いですね」
 ご利益がある、とは聞いていたがこんなに賑やかだとは。不安げにきょろきょろと辺りを見回すタツキを連れ大介は神社の中へと進んだ。
「タツキさん、せっかくですから絵馬にお願い事を書きましょう」
 絵馬を買い、さっそく受験合格の願い事を書き込む。案の定タツキはペンを持ったまま、何を書こうか迷っているようだ。ここまでは計画通り。ごくりと喉を鳴らし大介はタツキに話しかけた。
「タツキさん、僕お守りも買ってきますね。すぐに戻ってきますから、絵馬を仕上げて待っててください」
 いつもの笑みをタツキに向け、大介は急いで道を引き返した。絵馬を買った場所で、合格祈願のお守りと、赤と青の小さな2つのお守りを選ぶ。
(こ、これで僕とタツキさんは……)
 同級生から聞いた話。願いが叶うこの神社で、この赤と青のお守りを持って鳥居をくぐったカップルは幸せになれる。半信半疑ではあるが、いつも美月に妨害され雅也にからかわれる今の状況では頼りたくもなる。今日こうやってタツキと2人で出かけた事だって、いずれは美月や雅也にバレて文句を言われるのだろう。少しだけでいい、少しだけでも彼女と一緒に居られる時間が増えて欲しい。
 タツキの姿を見つけ、大介はお守りを握り締めて近づいた。怪しまれないよう平常心を装う。
「お待たせしてすみませんタツキさん。願い事、書けたんですね」
 絵馬を覗き込もうとすると、慌ててタツキが肩を押してきた。
「だ、駄目です見ちゃ。ほら、お守りも買ったんですし、早く出ましょう」
 絵馬の内容が気になるが仕方ない。大介はタツキに従いその場を離れた。しばらく歩いたところで、赤いお守りをタツキに差し出す。
「今日は僕の用事に付き合わせてしまってすみません。あの、もし良ければ、これを」
「お守り……? 何のお守りですか?」
「ええっとそれは……確か、願いが叶うお守りだったかと」
「……ありがとうございます」
 タツキが赤いお守りを受け取った。あとは鳥居をくぐるだけだ。

「……神社の、噂?」
「うん。大介君ね、クラスの人に神社のこと訊いてたんだって」
 美月に連れられ、千冬は家を出て神社に向かった。美月の話によると、大介少年は同級生から神社にまつわる噂をいくつか訊いていたらしい。そのうちの1つが恋愛がらみで、どうやらこのためにタツキと出かけているようだ。
「タツキちゃん、多分この噂知らないと思うの。大介君からお守り貰って鳥居くぐっちゃう前に止めなきゃ」
「だいたいわかったけど……待ってよー」
 美月は駆け足気味で千冬の数歩前を進んでいる。追いかけるのがやっとだ。これも若さの差か。
「あ、いたよ!」
 美月が神社の方を指差す。そこには今まさに鳥居をくぐろうとする2人の姿があった。
「大介君めー」
「美月ちゃん任せた」
 千冬がリタイヤした。美月は2人に駆け寄り、タツキに抱きついた。
「タツキちゃんこんなところにいたの、家にいないから心配したよぉっ」
「朝野」
 タツキの手には、案の定赤いお守りが握られていた。
「あ、このお守り可愛い。ねーねー、何のお守りなのー?」
「願いが叶うって、先輩が言ってた」
「ふーん」
 タツキから離れ、美月は大介に近づき耳元で囁いた。
「私に内緒でタツキちゃんとくっつこうとしたんだー」
「な、何を……」
「タツキちゃんに言っちゃおうかなー、あのお守りの本当の意味。タツキちゃんきっとここの神社の噂知らないだろうから、大介君のいやらしい下心を知って軽蔑しちゃうかも」
「や、やめてくださいそれだけは!」
「ま、いいけど。もう鳥居くぐっちゃったみたいだし」
「朝野?」
 顔を近づけて話す2人をタツキが不審そうに見つめていた。バレるのも誤解されるのも勘弁だ。
「わわわ朝野さん、これ以上は」
「黙っててあげるけど……いいのかなぁ、こういうの。タツキちゃんに内緒なんて、まるで騙してるみたいだよねぇ」
「そ、それは……」
 大介は口ごもった。確かにそこが気がかりだった。良心が痛むのは美月にも見透かされているようで、意地悪な囁き声が続く。
「タツキちゃんって嘘つきが嫌いみたいだし、鳥居くぐったからって結ばれるわけじゃないもんね。それに、大介君とタツキちゃんってカップルじゃないし」
 大介から離れ、千冬をつれて美月は走り去った。
「いいのか2人きりにして」
「いいの、ちゃんと釘さしたもん」
「釘ねぇ……」
 釘を刺された少年はぼんやりと立ち尽くしている。
「……先輩?」
「た、タツキさん」
「朝野に何か言われたんですか?」
 目の前の後輩は何も知らずに心配している。胸が痛い。
「いえ、貴女と2人で出かけたものですから妬まれちゃいまして。あの、そのお守りですが」
「ありがとうございます、大事にしますね」
「え、ええ……」
 結局言いそびれてしまった。

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