おっきい先輩in聖南学園

「行ってくる、千冬」
「おう。なあタツキちゃん、そろそろパパに行ってきますのチューでも」
「パパじゃないだろう」
「そうだけどさ」
 千冬は皿を洗う手を止めタツキを見た。もっと甘えてくれていいのに、家事は一通りこなすし甘えるどころか頼ってすらくれない。葉月さんの娘なのにあの愛想の無さ、きっと父親に似たのだろう。そっぽを向いたタツキが玄関に向かう途中でチャイムが鳴る。朝野うるさい、と呟きながらタツキは玄関のドアを開けた。
「ああ、やっぱりタツキさん。小さくてもお美しい」
 お友達のものではない男の声の後で。
「千冬っ!」
 タツキの悲鳴が聞こえ、千冬は急いで玄関に駆けつけた。栗色の髪の背の高い男がタツキに抱きついている。
「おい誰だてめぇ、俺のタツキちゃんに何やってんだ」
「お前のじゃない」
 不満そうなタツキの声。千冬のデカイ声に反応し顔を上げた男は顔立ちが整っていて、自称「タツキの彼氏」の男の子によく似ている。
「だっ誰ですかタツキさん、あの柄の悪そうな男の人は」
「お前こそ誰だっ」
 もがくタツキから一旦離れ、大介は彼女の目線に合わせてしゃがみ込み細い手を掴んだ。
「申し遅れました、貴女の未来の夫の野田大介です」
「野田……先輩?」
 タツキは眉間にしわを寄せ、疑いの眼差しで大介を見つめている。
「朝起きると母が若返っていて驚きましたよ。おそらく僕が過去の世界に戻ったのでしょう。それにしてもタツキさん、相変わらずの美貌ですね、惚れ惚れしてしまいますよ。あんな怖いお兄さんと暮らしているだなんて大丈夫ですか、何かいやらしいことされてませんか」
 不安げにタツキの身体をペタペタと触る大介の頬を、タツキはぺち、と軽く叩いた。
「別に変なことなんかされてません。あの人は母さんの元夫で、義理の父親だった人です」
「お、お義父様……」
 大介は千冬に視線を移した。派手な髪型も若く見える容姿も、「お父さん」とは程遠い。
「どうも信じられない話だけど、その反応は確かにあの男の子なんだよなー」
 千冬の怪しむ目つきは変わらないが、一応話は通じたようだ。ほっとした大介の後ろで玄関のドアが開く。
「タツキちゃ……」
 嫌そうな表情のタツキに、見たことないけどなぜかイラっとする男の人。男の人の手がタツキの腰を触っている。
「へんたいっ!」
 玄関を開けた少女が大介の腰に蹴りを入れた。大介から引き離したタツキに抱きつき胸を押し付ける。
「私のタツキちゃんに変なことしないでよねっ」
 可愛らしく幼い顔立ち、唇を尖らせるその表情……。
「あ、貴女もしかして……ミツキ、さん?」
「うわっ私のことまで知ってる、この人変質者だ!」

「へぇ、この人が別の世界から来た大介君かぁ」
 変質者として学校に突き出された大介は、ミステリー部部室と書かれた部屋に通された。どうみてもタツキの幼馴染の青山さんにしか見えない青山先生に事情を説明し話を整理すると、どうやら別の世界に辿り着いたらしいことがわかった。
「向こうの僕はタツキちゃんと幼馴染で、美月ちゃんはタツキちゃんの弟なんだ。ところで、向こうの世界のタツキちゃんって胸は大きいのかい?」
「……貴方がやったんですか」
 大介の問いに雅也は肩をすくめた。
「何のことだい、僕にそんなことが出来るとでも?」
「以前青山さんに女性の姿にさせられましてね」
 あの時は大変だった。
「じゃあ向こうの世界の僕のせいなんじゃない? 僕なら大介君じゃなくてタツキちゃんか美月ちゃんの大人になった姿が見たいなぁ」
「知っているんでしょう、元に戻る方法」
「調べれば、ね」
 睨みあう2人。その静寂を美月がブチ破った。
「まー君、変質者通報した?」
 部室に駆け込むなり雅也に詰め寄る美月。
「やぁ美月ちゃん。このお兄さんはね、別の世界から来た大介君なんだ。ほら、本物の大介君、今日学校に来てないだろう。このお兄さんと入れ代わったみたいなんだ」
「じゃあこの人、大介君なの?」
「そうなるね」
 雅也が美月の頭を撫でる。しばらく経って納得したのか、美月は大介の方を向いた。
「変質者って言ってごめんなさい」
 短いスカートに大きな胸。こちらの世界のミツキは女の子で、タツキの友人のようだ。
「いえ、これじゃ誰だってびっくりしますよね。それにしても真っ先にタツキさんを助けようとするなんて、こちらの美月さんもタツキさんと仲が良いんですね」
「当たり前でしょ、私とタツキちゃんはとっても仲良しなのっ」
 美月が大介の右腕にすり寄ってきた。美月の大きな胸が大介の腕に当たる。慌てて美月から目をそらした大介は、部屋の入り口で冷ややかな視線を送るタツキの姿を見つけた。
「あ、タツキさん」
「……」
「やぁ、タツキちゃん。この人、変質者じゃなくて別の世界からやって来た大介君なんだ」
「この人が、先輩……」
 大介を見つめるタツキの表情は険しい。大介はそっと、自分の腕にくっつく美月の身体を引き離した。その様子を雅也がニヤニヤと眺めている。
「ミステリー部としてはこの上ない不思議に出くわしたってことさ。僕は元に戻る方法を調べてみるからさ、君達はしばらく大介君と遊んでなよ。何ならデートしてくれば?」
「なっ……」
 大介の顔がさっと赤くなる。美月がぽつりと、やっぱり変態だ、と呟いた。
「じゃあ、元に戻る方法が見つかったら連絡するよ。なるべく今日のうちに見つけるつもりだけど、ダメだったらごめんねー」
 あくびをしながら雅也が部屋を出て行った。
「あ、あのタツキさん」
「わっ私も行くよっ、タツキちゃんが変なことされたら大変だもん」
 美月が慌てて大介の腕に抱きつく。大介が思わず顔を背けると、タツキと目が合った。
「……いやらしい」
「別に僕は」
「朝野の胸見てた」
「ご、誤解ですよタツキさん。それよりもこれから、青山さんが言っていたようにデートでも」
 大介を無視し、タツキは美月の手をつかんだ。
「行こう朝野。こんな変態と一緒にいちゃダメだ」
「えへへ、タツキちゃんと一緒にいていいんだ」
 どうあがいても変態のレッテルがつきまとう。ため息をつき、大介は2人の後を追った。

「こちらの世界の小早川さんは、随分と大人しいんですね」
「べ、別に大人しいわけじゃないけど」
「きっと向こうの小早川君がうるさいだけだよー」
 途中で会った小早川も同行し、大介達はタツキの家に集まった。大介の知る小早川武とは正反対といっていいほど物静かな小早川少年に軽い違和感を覚えつつ、大介はタツキに近づけまいとする美月からの質問攻めを食らっていた。
「ねーねー、向こうの世界の私って、タツキちゃんと仲良いの?」
「向こうの美月さんはタツキさんの弟で、いつもタツキさんと一緒にいますよ」
「弟かぁ、一緒に寝たりお風呂に入ったりしてるのかなーいいなー。ねぇタツキちゃん、私達も一緒にお風呂に入ろーよー」
 隣のタツキに抱きつく美月。嫌だ、と呟きながらタツキが首を横に振る。大介のよく知る姉弟に似ていて微笑ましい。
「じゃあさ、大介君はタツキちゃんとどういう関係なの?」
 美月の大きな目にじっと見つめられ、大介は動揺した。
「そ、それは、未来の夫で」
「今は? チューしたの?」
「そっ、そんな……っ。それはいずれ」
「なーんだ、向こうでも私の方がタツキちゃんとラブラブなんだ」
 勝ち誇ったような笑みを浮かべタツキに擦り寄る美月。悔しいが完敗だ。
「そ、それより小早川さん、貴方はどう思っているんですか、タツキさんの事」
「べ、別にそんなんじゃないです。今だって誘われたから来ただけだし、部活だって人数が足りないから入っただけでっ」
 紛らわせようと小早川に話を振った途端、小早川は顔を真っ赤にして早口でまくしたてた。その様子には美月も驚いたようで、ぽかんと口を開けたままだ。
「もしかして小早川君もタツキちゃんのこと……」
「だ、だから違いますって!」
「じゃ、タツキちゃんは私のだからね」
 嬉しそうな笑みを浮かべ美月はタツキの頬に唇を押し付けた。
「やめろ朝野っ」
 恥ずかしそうに嫌がるタツキも愛らしい。眺めているうちに興奮してしまったのだろうか。美月がティッシュを投げつけてきた。
「鼻血出すなんて、大介君ってホント変態だね!」

 雅也からの連絡があったのは、帰ってきた千冬を加えた皆で夕食のカレーを食べているときだった。なぜか顔が赤いタツキから受話器を受け取り電話に出ると、緊張感のかけらもないのんびりとした声が聞こえてきた。
「やぁ、結局デート出来なかったみたいだね」
「余計なお世話です」
「それで元に戻る方法なんだけどね、タツキちゃんにも言ったんだけど、君とタツキとで一緒に一晩過ごせばいいだけだから」
 近くで聞き耳を立てていた美月が、ずるい、と叫んだ。
「もちろんいやらしい事なんてしちゃ駄目だし、そこにいる美月ちゃんとかタツキちゃんのお義父さんとか、第三者が一緒にいるのも駄目だからね。タツキちゃんの部屋で、君とタツキちゃんとで一緒に過ごす。簡単なことだろう?」
「そう言われましても……そもそもどうして2人きりなんですか」
「2つの世界の違いとそれぞれの大介君を比較した結果、タツキちゃんの部屋を軸にするこの方法がベストなんだよ。多分向こうの世界でも、君の彼女と中学生の大介君が一晩一緒に過ごしてるはずだよ」
「それは……まずいですね」
 ただでさえ子供に弱いタツキが、中学生の自分と一緒にいる。大介の不安を感じ取ったのか、雅也の気の抜けた声が続く。
「安心しなよ。僕の知ってる大介君が君の彼女に手を出すなんてありえないし、元に戻ったら君は彼女と同じベッドの上にいるはずだからさ。戻った後は口説くなりプロポーズするなり好きにすればいい」
「ぷ、ぷろぽーず!?」
 鼻血を垂らす大介に、美月がつまらなさそうにティッシュを渡した。

「では、寝ましょうかタツキさん」
「自分で歩ける、下ろしてくださいっ」
 抱きかかえていたタツキをそっと下ろすと、パタパタと足音を立ててベッドに潜り込んでしまった。ドアの向こうからは千冬と美月の声が聞こえてくる。
「大丈夫かなタツキちゃん。ああいう見た目だけは紳士的というか、面倒見がいいというか、今まで父親がいなかったからさ、優しいお父さんって感じのする大人に弱そうだもんなぁ。パパよりあのお兄ちゃんの方が良い、って言われたら俺どうしよう」
「大丈夫だよー。だってあの人ただの変態だよ」
 まだ変態扱いされているようだ。大介は電気を消し、タツキのいるベッドに入った。
「タツキさん」
 そっと肩に触れると、タツキの身体がびくりと震えた。
「やっ……」
「あああ、すみません」
 すぐに手を離す。「鬼頭タツキ」ではあるが、目の前にいるのは幼い少女だ。いつものような接し方では怖がらせてしまう。大介はタツキと少し距離を置いた。といっても、手を伸ばせばすぐにでも触れられそうな距離だが。
「こちらのタツキさんも可愛らしいですね、僕の知っているタツキさんをそのまま幼くしたようで、見ているだけで胸がドキドキしますよ」
「……大人の私って、どんな人?」
「素晴らしい女性ですよ。美しいですし、生徒からも慕われています。母親に代わって弟さんの面倒も見ているんですよ。未来の夫として僕も手助けしたいのですが、いつも1人でやるといってきかないんです」
「……朝野みたいに、胸大きい?」
「……」
 大介の沈黙に、タツキはため息をついた。がっかりさせたくない。
「で、でも僕は好きですよ」
「変態!」
「いえ、そういう意味じゃなくてですね、胸の大きさに関係なくタツキさんが好きなんです。お嫁さんにしたいくらい大好きなんです」
「朝野の胸見てたくせに」
「あれは誤解です!」
 いつまで変態呼ばわりされるのだろう。肩を落とす大介の隣で、タツキが恥ずかしそうに呟く。
「……先輩も、私のこと、本当に好き、なのかな」
「あ、当たり前でしょう! 貴女のような美しく優しい女性、こちらの僕だってお嫁さんにしたいくらい好きに決まってるじゃないですか!」
 思わずタツキの手を握る。ピクリと身体を震わせつつも、タツキは小声で大介に相談した。
「せ、先輩が今度の日曜にデートしたい、って言ってたんですが」
「それは絶対に行くべきですけど……こう面と向かって言われると複雑ですね」
 こちらの世界のタツキと大介がデートする。それは良いことだ。だが目の前にいる可愛らしい「鬼頭タツキ」が、別世界の自分とはいえ他の男と一緒にデートと聞くと何故か反対したくなる。
「……どんな服着たらいい?」
「そうですね……」
 じっと考え込む大介を、タツキはぼんやりと眺める。
 先輩も目の前にいる男性のように、ずっと自分のことを好きでいてくれるのだろうか。

 大介が目を覚ますと、ベッドのそばでタツキが心配そうにこちらを見ていた。
「あ、た、タツキさん! 元に戻ったんですね、僕。それよりタツキさん、大丈夫でしたか、向こうの世界の僕に何かされませんでしたか」
「大丈夫……先輩、今度の日曜日に先輩が言ってた、その」
「で、デートのこと、ですか?」
「デートじゃないけど……先輩がどこか行きたいところがあるのなら」
「い、良いんですか!?」
 タツキが頷く。大介はベッドから飛び降り自分の頬をつまんだ。夢じゃない。目の前の後輩も恥ずかしそうに顔を赤くしている。
「も、もちろんお願いします、それと朝野さんには絶対内緒ですよ」
「わかってます」

戻る