お泊り
今度の土曜日にお泊りするからね、約束だよっ!
その「土曜日」が来てしまった。
お泊りの話を嬉しそうに顧問やストーカーに言いふらしていたくせに具体的な予定を聞いていない。そして今は午後五時。夕食を作りながら、結局来なかったな、とタツキは思った。
別に来るのを期待していたわけじゃないが。
鍋の火を消し、夕食を皿に盛り付けているとチャイムが鳴った。玄関のドアを開けた途端、チャイムを鳴らした人物がタツキに抱きついてきた。
「タツキちゃんこんばんはー」
美月だ。
「お泊りに来たよー」
水色のワンピースを着た美月の足元には、パンパンに膨れた学校のスポーツバッグ。お泊りに来たというよりは、家出と言ったほうがしっくりくる。
「わあ、おいしそうな匂い。それにタツキちゃん、お母さんみたい」
エプロン姿のタツキを眺め、美月は鼻をひくひくさせた。
「……食べる?」
「わあ、いいの?」
目をきらきらさせながら美月が家へあがる。ドアを閉める瞬間、誰かの視線を感じたのは――たぶん気のせいだろう。
「ごちそうさま、カレーおいしかったよ!」
満面の笑みを浮かべて、美月が空になった皿を流し台へ運ぶ。
「晩ご飯、食べてきたんだよね……?」
「うん」
晩ご飯食べてきたよー、と言ったにもかかわらず美月はカレーを2回おかわりしたのだ。
「でもタツキちゃんの手作りカレーおいしかったからたくさん食べちゃった」
見かけによらず大食いなんだなとタツキは思った。そういえばいつも、やけに給食のメニューを気にしていたような。
「私もお片付け手伝うよ」
「うん……お風呂わかしてくる」
「あ、お風呂の前にお勉強! タツキちゃん宿題教えて!」
「はいはい」
「うう〜、みゅうううー」
美月は頭を抱え机に突っ伏した。
「宿題難しいよーわかんないよーめんどくさいよー」
「じゃあ先にお風呂に入る?」
「……一緒に?」
美月がタツキの顔をじっと見つめる。何で、とか嫌だ、とか言ったら噛み付いてきそうだ。
「……うん、一緒がいい。タツキちゃん一緒にお風呂行こっ!」
嬉しそうに呟き、返事を聞かないうちにバッグからタオルや下着を取り出す。タツキが断ろうとした時、玄関のチャイムが鳴った。
「お客さんかなー」
2人で玄関に行くとタツキの元義父がいた。
「何しに来たの」
「なんかこの前お泊りって言ってたろ? 義理とはいえ可愛い娘が心配でなぁ」
「別に心配しなくてもいい」
「とは言うけどよぉ、さっきこんなの見つけたぜ」
タツキの元義父が「こんなの」を2人の前に突き出した。
「大介君! またついてきたの!?」
「な、こんなのがいるからパパは心配なんだ」
誇らしげに胸を張るタツキの元義父のお腹が鳴った。
「これ食べたら帰ってくださいよ」
ストーカーにいつから居たのか問い詰めると、エプロン姿のタツキの可愛らしさを延々と語り始めた。どうやら美月が来る前から隠れていたらしい。
「重症ですよ先輩」
「だって美月さんが貴女の家に泊まると聞いて心配で心配で……カレーおいしいですね、僕貴女の手作りなら毎日カレーでも構いませんよ」
「さりげなくプロポーズしてもパパ許さないぞ」
「私も許さないよっ」
美月が頬を膨らませて言う。せっかくのお泊りを邪魔されて怒っているようだ。
「お義父さんはともかく、美月さんにまで言われる筋合いは……」
「もう、そうやってしつこく付きまとってるとタツキちゃんに嫌われちゃうよっ。それとも大介君、そこまで一緒にお泊りしたいのなら」
美月は大介の左腕にぎゅっと抱きついた。
「一緒にお風呂に入る?」
「なっ……」
大介は顔を赤くしてスプーンを落とした。
「私ね、さっきタツキちゃんと一緒にお風呂に入ろうって話してたの。早くしないと冷めちゃうから大介君も一緒に入ろっ」
頬を膨らませたまま大介の腕に胸を押し付ける。大介は顔を真っ赤にしたまま、泣きそうな表情でタツキの方を見ている。口がパクパク動いているのは助けを求めているからなのか。なんだか可哀想になってきた。
「朝野、もう放してあげなよ」
「むぅー」
美月から解放された大介はタツキに抱きつこうとしたが、美月の険しい視線を感じて近寄るのをあきらめた。帰ろうと部屋を出るが、何か気になることでもあるのかそわそわしている。
「タツキさん、あの、今日はすみませんでした」
「うん……先輩、また月曜日に」
「……はい!」
大好きな後輩がこれからも変わらず接してくれると知りほっとしたのか、軽やかな足取りで帰っていった。
「タツキちゃん大介君に甘過ぎー。あれじゃ調子に乗っちゃうよっ」
美月が抱きついてくる。
「ね、タツキちゃんお風呂!」
べったりくっついてくる美月の胸と自分の胸を見比べ、タツキは断った。
頬を膨らませた美月が部屋を出たところで、元義父が呟く。
「まぁ断るわな。お前本当にあの子と同じ年なのか?」
「うるさい帰れ!」