お供え

 タツキは目を覚ました。胸に顔を埋めたまま眠る弟を引き離してベッドに残し、黒いワンピースに着替える。カバンを肩にかけミツキに宛てた書き置きを机の上に貼り付けて家を出た。少し暑い曇り空の下、タツキは駅へと歩き出した。
「タツキさん」
 歩き始めて数分後。後ろから名前を呼ばれたような気がする。多分気のせいだろう。そのまま歩き続けていると再び声がかかった。
「タツキさん僕です、貴女の未来の夫のっ」
「先輩うるさい」
 振り返ると車の窓から大介が身を乗り出していた。
「お出かけですか、僕もご一緒しますよ」
「結構です。母の実家に少し寄るだけですので」
「実家……是非ご一緒させてくださいご挨拶せねば」
「やめてください、祖母の仏壇にお供えするだけですからついてこないでください」
 立ち去ろうとしたタツキの腕を大介が掴んだ。
「ここから遠いんじゃないですか? 駅に向かっているようですし……さあ遠慮せず僕を頼ってください」
「一人で大丈夫です」
「頼ってくださいお願いします」
 両腕でしがみついてきた。上目遣いのつもりなのだろうか、チラチラと見上げてくる。もちろん可愛くなんかない。
「……だいたい、何でこんなところにいるんですか」
「貴女に逢いたくなりまして。貴女の家に向かう途中、偶然外を歩く貴女を見かけたんです……ああ、黒い服もお似合いですね、いつもより艶めかしい」
「……お願いですから私の親戚に変な事言わないでくださいよ」
「もちろんです、さあ乗ってください!」

「タツキおねえちゃん!」
 タツキの母の実家に着くと、小さな男の子が玄関から飛び出しタツキに抱きついてきた。10歳くらいの、ミツキをさらに幼くしたような子供だ。
「律」
 タツキに頭を撫でられ嬉しそうな律少年は、やがて辺りを見回し不思議そうに首を傾げた。
「アホミツ……ミツキおにいちゃんはいないの?」
「すぐに律と喧嘩するからお留守番」
「ふーん。じゃあおねえちゃん今日は僕と遊ぼっ。家にお泊りしてもいいよ、ねぇ一緒にお風呂に入ろっ」
「なっなんて図々しい!」
 泣き出しそうな表情で声を上げた大介を軽く睨み付けたが遅かった。
「おねえちゃんあの人誰―?」
「ただの先輩。気にしないで」
「タツキさん誰なんですかその馴れ馴れしい子供は!」
 特に気にする様子のない律少年とは対照的に、大介が悲鳴に近い声を上げる。
「先輩うるさい。この子はいとこの律樹。母の弟の子です」
 涙目の大介が律樹をじっと見つめる。律樹が両腕をタツキの腰に回し甘える姿はミツキそっくりだ。すぐミツキと喧嘩するらしいが、おそらく2人でタツキを奪い合っているのだろう。
「律。今日はミツキを置いてきたし、すぐ帰るから」
「えーつまんない……」
 ミツキのように頬を膨らませつつ、タツキの手を引き家の中に戻る。
「おばあちゃん、おねえちゃん来たよっ」
 祖母の仏壇に向かい律樹が手を合わせる。続いてタツキも黙祷した。
「ああおばあ様……貴女のお孫さんはこんなに美しく成長しましたよ。これからはおばあ様に代わって僕がタツキさんを幸せに」
 タツキが騒ぐ大介の口を手で塞いだ。放っておくと家族であるかのように振る舞いそうだ。
「変な事言わないでくださいって言いましたよね」
 こくこくと頷く大介から手を離すと、律樹の母親である叔母がお茶を運んできた。
「あらこの人は……? もしかしてタツキちゃんの彼氏?」
「違います」
「お茶もうひとつ用意しなきゃ」
「手伝います、お菓子も持ってきてありますし」
「わーいお菓子〜」
 叔母とタツキと律樹が部屋を出た。
「先輩はここにいてください、絶対に他の部屋をうろつかないでくださいよ」
「はい」
 これだけ念を押しておけば変な事はしないと思うが。

「優しそうな彼ね」
 お茶を淹れながら叔母が話しかけてきた。
「彼氏じゃないです」
「タツキおねえちゃんは僕とけっこんするんだよー」
 お菓子を片手に律樹がぴょんぴょんとびはねる。
「そう? あの人お似合いだと思うけど」
「ただの先輩です」
 お菓子を乗せたお盆をタツキが運ぼうとすると、律樹が代わりに運ぶと言ってきた。
「僕お手伝い出来るんだよー」
「偉いね律」
「えへへ」
 幼い頃のミツキに似た無邪気な笑みで、律樹はお盆を運んでいった。
「律の言うこと、気にしなくていいのよ」
 お茶を乗せたお盆を持ち叔母がいたずらっぽく笑う。
「律の事なんてほっといてあの彼と結婚しちゃいなさい」
「あの人は先輩で彼氏じゃないです」
「でもあの人タツキちゃんの事好きみたいだし」
「変な事言わないでくださ……」
 お茶を運ぶ叔母とタツキの耳に大介のでかい声が届く。
「タツキさんはふしだらな方ではありません!」
「あらら……お義父さんに会っちゃったみたいね……」
 タツキはため息をついた。部屋の前ではお盆を抱えた律樹が様子を窺っている。
「おじいちゃんあの男の人のことおねえちゃんの彼氏だと思ってるみたいだよー、違うのにー」
 唇を尖らせる律樹の頭を撫で、タツキは部屋の戸を開けた。
「先輩うるさい」
「ああタツキさんっ、僕変な事言ってませんよ」
「言ってるじゃないですか大きい声で!」
「言ってませんよ、それよりもそちらの方がタツキさんを侮辱したんですよ!」
「おじいちゃん」
 大介が指さす男を、タツキはじっと見つめた。視線の先の、気難しそうな老人がタツキや律樹の祖父である。
「おじい様、ですか」
「……ふん、顔だけの男を誑かしおって……誰に似たのやら」
「ほらタツキさんに酷い事を!」
「先輩も馬鹿にされてますよ。おじいちゃん、この人は確かに顔だけの変態ですけど恋人じゃありません。来なくていいって言ったのについてきたただの先輩です」
「ふん、どうだか……」
 険しい表情でタツキを見る祖父に、律樹が近寄った。
「おじいちゃん、タツキおねえちゃんの事いじめちゃダメだよっ、おねえちゃんの事いじめるおじいちゃんなんか大っ嫌いだからね!」
「ぐぅ……」
「そうですよ、タツキさんが可愛くないんですかっ。いじめるくらいなら僕にください」
「先輩は黙っててください」
「……可愛くないわけがないだろう、わしの孫なんじゃから」
 苦虫を噛み潰したような渋い表情のまま祖父が部屋を出て行った。
「おじいちゃんえらーい」
「お義父さんが素直になった……」
「タツキさんは可愛いですよねおじい様」
「家族面するのやめてください先輩」

「置いてくなんてひどいよタツキちゃん、それにおにいちゃんまで一緒だなんてー」
 帰宅したタツキに、ミツキがしがみついてわめく。タツキの胸に顔を埋めるミツキに、大介が泣きそうな表情を向ける。
「ミツキなかなか起きないし、お供えしてすぐ帰るつもりだったから」
「……バカ律に変な事されてない?」
「バカって言わないの。律はちゃんと良い子にしてたよ」
「……おにいちゃん本当?」
 ミツキの大きな瞳が大介をじっと見つめる。
「ええ、随分と馴れ馴れしい子でしたが、タツキさんを困らせるようなことはしていませんでしたよ」
「ふーん……ねえタツキちゃんお腹すいた、お昼ごはんにしようよー」
 時計を見ると正午を過ぎている。タツキが頷くとミツキははしゃぎながら大介にも声をかけた。
「ねぇ、おにいちゃんも一緒に食べよ」
「いいんですか!?」
「だって今日お留守番でずっと1人だったからつまらなかったんだもん、お昼食べたら一緒に遊ぼう?」
 タツキに似た大きな瞳が大介に向けられる。拒む理由などない。

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