ちっちゃい先輩in聖南パラレル
「タツキちゃんおはよー」
目をこすりながら台所に入ってきたミツキが、背後からタツキに抱きつく。
「こら、離れなさい」
「やだー」
頬をすり寄せてくるミツキを引き離し朝食の準備をしていると、電話が鳴った。
「僕が出るねー」
ミツキが電話にかけより受話器を取る。眠そうな、のんびりとした口調で言葉を交わし、受話器をタツキに向ける。
「タツキちゃん、おにいちゃんから電話〜」
タツキが電話に出ると、大介のうわずった声が聞こえてきた。
「あ、あの、タツキさん……」
「どうしたんですか先輩」
「ああ、間違いなくタツキさんだ……では先ほどの男の子の声は一体」
「何言ってるんですか、ミツキですよ」
タツキの返事に、大介が泣き出しそうな悲鳴を上げた。
「そっそんなっ、同棲しているんですかっ」
「……先輩？」
様子がおかしい。そういえば何だか、いつもより声が高いような気がしなくもない。
「てっきり未来の世界にでもタイムスリップしてしまったのだと思っていたのですが……まさか美月さんが男性で、タツキさんと一緒に暮らしているだなんてっ……おかしいですよこんな世界！」
どうも言っていることが変だ。未来？ タイムスリップ？
「あの、先輩。さっきから変なことばっかり言ってますけど、ちゃんと自分の名前言えますよね？」
「当然です、僕は野田大介です」
「……年齢は」
「もちろん言えますよ。１４歳、中学３年生です」
やっぱりおかしい。１４歳の大介に家から出ないよう忠告し、タツキは学校に行った。野田先生は風邪で休みだ、と告げると女子生徒達がいっせいにつまらなさそうな表情になった。申し訳なく思ったが、生徒とそう変わりないであろう姿の大介を連れてくるわけにもいかない。幸いなことに１４歳の大介は物分りが良く、タツキの指示をしっかりと守り自宅で待機してくれている。ミツキも彼くらい賢くてしっかりとした少年であってほしいものだ。
特に変わったこともなく一日が過ぎ、何か勘違いしているめぐみの計らいで早めに帰宅出来ることになったタツキは、急いで大介の住むアパートに向かった。早く看病してあげなさい、少しでも長くそばにいてあげなさい、とめぐみに言われ手渡された氷枕その他諸々は多分、使うことなく返却することになるだろう。
「で、どうして僕までお兄さんのところに行かなきゃいけないのかなぁ」
「こういう変なことするの、雅也しかいないだろう」
呼び出した雅也と合流し大介のいる部屋のチャイムを鳴らす。
「先輩、来ましたよ」
ドアが開いた。
「ああ、タツキさん……美しい」
声の先に、ミツキくらいの背の大介がいた。縮んではいるものの、栗色の髪に整った顔立ち、今にも鼻血を噴き出しそうな表情は間違いなく大介だ。
「わ、ホントに小さくなってる」
ニヤニヤ笑いながら雅也が大介の頭を撫でた。
「あ、青山先生？」
「へぇ、君がいる世界の僕は先生なんだ」
「やっぱり雅也、何か知ってるだろう」
「知らないよ今回ばかりは。僕がやったというのかい？」
「前科があるだろう前科が」
「向こうの世界の僕がやったのかもしれないじゃないか」
親しげに言い合う２人を眺め、大介の表情が引きつる。
「タツキさん、貴女まさか青山先生とただならぬ関係にっ……」
「違うっ」
「はは、こっちのお兄さんと同じこと言ってる、ちっちゃくてもお兄さんはお兄さんだね。せっかくだしタツキの家で事情を話してもらおうよ。お兄さんだってミツキ君のこと、気になるだろう？」
雅也の問いに、大介は大きく頷いた。
「もちろんです、タツキさんを誑かすような悪い男性だったら僕許しませんよっ」
「わあっ、おにいちゃんちっちゃくてかわいー」
「……本当に男の子なんですね。おまけにタツキさんの弟だなんてうらやましい」
「えへへ〜」
大介に見せ付けるかのように、ミツキはタツキに抱きついた。タツキの胸に顔を埋めて甘えるミツキを見て、大介が涙目になる。
「こらミツキ、先輩をいじめないの」
「はーい」
大介はミツキから視線をそらし、潤んだままの目でタツキをじっと眺めた。初恋の後輩をそのまま大きくし、さらに大人っぽさを付け加えたような、大介にとってまさに理想の女性だ。ここは自分がいた世界とは少し違う世界らしいが、初恋の後輩も彼女のような美しい女性に成長するのだろうか。
「……先輩？」
「あ」
タツキがじっとこちらを見ている。大介は自分の顔が火照っているのを感じた。
「……鼻血出てる」
「ああっすみませんっ」
慌てて鼻を押さえようとすると、タツキがティッシュを押し当ててきた。
「すぐに鼻血を噴くの、先輩の特技か何かですか」
こちらの世界の大介は頻繁に鼻血を出すようだ。いつもこうやってタツキに拭ってもらっているのだろうか。だとしたらうらやましい。
「べ、別に意図して出しているわけではなくって。じ、自分で拭きますから」
ティッシュを取ろうと伸ばした大介の指が、タツキの指に触れた。
「あ……っ」
みるみるうちにティッシュが赤く染まっていった。
ミツキに誘われ、一緒に風呂に入った。目をきらきらと輝かせるミツキに大介のいた世界のことを細かく聞かれ、特に美月の容姿や向こうのタツキのことを根掘り葉掘り訊ねられた。美月が胸が大きく、いつもタツキにべったりくっついていると知ったミツキが妙に嬉しそうに見えたのは気のせいだろう。結果長風呂となり軽い疲労感に襲われた。しばらく横になって休もうかとうろうろしているとパジャマ姿のタツキに声をかけられた。
「先輩」
「か、可愛らしいパジャマですね」
ピンク色のふんわりとしたパジャマを着たタツキに手招きされ後に続くと、タツキの部屋に案内された。
「こ、ここがタツキさんのお部屋……」
つばを飲み込む大介の背後から突然雅也の声が聞こえてきた。
「やあ、そろったね」
「わ、青山先せ……青山さん」
振り返ると分厚い黒い本を抱えた雅也が立っていた。
「元に戻る方法がわかってね。とっても簡単なことさ、君とタツキとで一晩一緒に過ごせばいいだけさ」
「ひっ一晩！？」
顔を赤くする大介に、雅也はニヤニヤした表情で答える。
「何もいやらしい事をしろってわけじゃないんだ。とりあえず２人きりで、お互い胸の内を語り合って健全に一夜を明かせばいいだけだよ。多分今頃、向こうでもおっきいお兄さんと中学生のタツキが２人きりでいるんじゃないかな」
「変態」
タツキの鋭い視線が大介に突き刺さった。怒られているはずなのに何故だか嬉しくなる。僕だけを見ているからなのだろうか。
「僕じゃなくて向こうにいる僕に言ってくださいよ。そもそも向こうにいる僕がタツキさんに変なことなんてするわけないじゃないですか」
「顔を近づけてきたり抱きついてきたりしてきますよ」
「なっ何ですって、ひどいですね向こうにいる僕は」
考えるだけで不安になってきた。ただでさえ無防備なタツキだ、大人の姿の、いくらか魅力的に見えるであろう向こうの大介が紳士的にタツキに接すれば、おそらくタツキも……。
「早く寝ましょうタツキさん、僕の愛しい後輩が危ないですっ」
「じゃあ僕はお邪魔するね〜」
雅也が部屋から出て行き、辺りが静かになった。
「先輩」
タツキが大介の身体を抱えベッドに寝かせた。手慣れた様子で布団をかけられティッシュを手渡される。すぐに電気を消し、隣に入ってきた。
「あの、タツキさん。向こうにいる僕とは、その。やっぱり恋び」
「違います」
吐き捨てるかのような即答。嫌われているのだろうか。
「そうですか……」
「変態なんですよ先輩は。しつこく付きまとってくるし一々監視してるし。先輩はそういう事、絶対にしちゃいけませんよ」
「は、はい！」
そういえば、休み時間のたびに後を追っていると嫌そうにしていたっけ。これからは気を付けなければ。
「ところで先輩」
「な、何でしょう」
「向こうの私は、ちゃんと家族と暮らせてますよね？」
声が少し震えていた。おそらくこちらのタツキも……。
「いえ、タツキさんのお母様は旅に出たきり戻って来ない、と」
「そう」
どこまで自分勝手なのだろう、あの女は。向こうのミツキは同級生で友達だという。だとしたら、向こうのタツキはずっと独りだ。
「ですが最近、タツキさんの義理の父親だという若い男性が住み着くようになったんです。馴れ馴れしくて気に食わないのですが、タツキさんは以前より少し明るくなったように見えます」
「義理の……父親？」
「ええ。確かタツキさんが彼のことを千冬と呼んでいました。派手で随分若く見える方で、タツキさんのお母様と復縁しようとしているそうです。なのにタツキさんにもちょっかいを出すんですよ。でも大丈夫です、美月さんや僕がしっかりとタツキさんをお守りしていますから」
「そう」
安心したからだろうか、タツキの唇から溜息がもれた。
「……先輩」
タツキの手が大介の頬に触れた。
「た、タツキさん？」
「向こうの私のこと、よろしくお願いします。後をつけたり、変なことしたりしなきゃ、先輩のこと嫌いになったりはしないと思います」
「タツキさん、貴女もしかして向こうにいる僕のこと」
「寝ますよ先輩」
先を遮るかのように、タツキが大介を抱き寄せた。タツキの肩が頭に触れ、大介は慌ててティッシュを鼻に当てた。
「……あの、タツキさん。もし戻ったら、の話ですけど。もし戻って、朝目が覚めたら、僕は向こうのタツキさんと、タツキさんは向こうにいる僕と一緒に眠っていることにな……わわっ」
タツキに突き飛ばされ、大介はベッドの端にしがみついた。タツキはそのまま後ずさり大介と距離を取る。
「こ、来ないでください変態」
「来ませんけど、このまま寝たとして、向こうにいる僕とタツキさんが寄り添っていた場合は」
「気持ち悪いこと言うなっ！」
「……んっ」
タツキは目を覚ました。振り返らずとも、すぐそばに大介の気配を感じた。タツキの身体を抱きしめる腕は昨日の中学生の大介の腕よりも太く逞しい。戻っている、すぐ後ろにいるのは変態だ。
「先輩」
「ふふ、おはようございますタツキさん」
嬉しそうな大介の声が聞こえてきた。同時に、抱きついてきた腕に力がこもる。
「一日ぶりですね、ああ、ただいま僕のタツキさん」
「先輩のじゃない」
もがいてもびくともしない。
「離せ変態、ちっさい先輩の方が物分りが良くて可愛かったぞ」
「タツキさんまさか、僕よりも彼の方が良いと……」
大介の腕から力が抜けた。その隙にタツキは起き上がりベッドから離れる。
「先輩は先輩でしたけど、変なことはしないし、付きまとったり気持ち悪いこと言ったりしないし、先輩よりずっと素敵でしたよ、それに可愛いし。先輩もあの子を見習って少しは紳士的になってくださいよ」
「紳士……なるほど」
そういえば幼いタツキもそうだった。父親を知らないから、父性と大人の魅力に満ち溢れた男性に弱いんじゃないか、みたいなことを千冬が言っていたような。
「わかりました、タツキさん。必ず貴女好みの立派な紳士になってみせまず！」
「……何か勘違いしてるみたいですけど、いいや。紳士なら早くここから出て行ってください、いつまで人の部屋に居座る気ですか」
名残惜しそうに見つめてくる大介を部屋の外に押し出し、タツキはもう一度ベッドにもぐり込んだ。