おまじない

 ミツキが学校から帰ると、玄関の前でタツキと大介が抱き合っていた。多分大介が無理矢理タツキに抱きついているのだろう、わかってはいてもイラついてくる。
「ああ、タツキさん。このまま別れるのが惜しいです」
「また明日になったら会えるじゃないですか、離れてください」
「ですが、明日まで待ちきれません」
 大介がタツキを抱く腕に力を込める。離せ変態、とわめきながらタツキがもがく。
「おにいちゃんやめなよ、タツキちゃん苦しそうだよ」
「ああ、すみません。お帰りなさいミツキさん」
 腕の力を緩め、大介がミツキに笑顔を向ける。その爽やかな笑みから顔を背け、ミツキはただいま、とだけ返事をして家の中に入った。家に上がると、雅也が食卓でのんびりとお茶を飲んでいた。
「やぁお帰りミツキくん。あのバカップル、さっきからずっとああやってイチャついてるんだけどどうにかならないかい。あれじゃあ僕、家に帰れないよ」
「知らないよあんなの」
 むしゃくしゃしたままテーブルにつくと、雅也のそばに黒く分厚い本が置かれていた。
「まー君、それなに?」
「これかい? 呪術、古いおまじないの本だよ」
「ふーん」
 しばらくの間ぼんやりと本を眺めていたミツキが、雅也に真面目な顔で話しかける。
「ねーねーまー君。おまじないってことは、願い事を叶えてくれたりするの?」
「まぁ、ものにもよると思うけど」
「じゃあさ、じゃあさ」
 雅也にそっと耳打ちする。
「いいのかい、責任取れないよ」
「いいのいいの」

 玄関のチャイムの音でタツキは目を覚ました。身体の上に乗っかったままいびきをかいて眠るミツキを押しのけ玄関に出ると、目に涙を浮かべた大介が立っていた。全身を覆う黒いコートが妙に不審者くさい。
「どうしたんですか先輩、今日は学校休みですよ」
「タツキさん……うわぁぁぁ」
 両手を広げ大介が抱きついてきた。が、いつものように頬ずりされることはなく、何かに阻まれているような違和感。
「何なんですかもう……えっ?」
 押しのけようと伸ばしたタツキの手に当たる奇妙な感触。大介の胸の辺りがいつもより柔らかい。
「け、今朝起きたらこうなってまして……」
 大介が声を震わせながら、コートの前をはだけた。いつもの白いシャツが現れる。そのシャツのボタンが上から2つ……いや3つくらい開いていた。そこから覗く大き過ぎるほど豊かな2つの膨らみは……。
「雅也ァ!」
 こんなことが出来るのは1人しかいない。タツキは玄関を飛び出し隣に住む幼馴染みを捕まえた。

「ミツキ君がさ、タツキとお兄さんの仲に嫉妬してさぁ、お兄さんを呪ってくれって言うからさ」
 タツキが問い詰めると雅也はあっさりと白状した。のんびりと話す雅也の隣で、叩き起こされたミツキは目をこすっていた。
「そんな話引き受けるな」
「そりゃあ断ったさ。だけど引かないんだよミツキ君が。だから仕方なく、比較的軽めの呪いを」
「……それで、こうなったのか」
 タツキはそっと、隣で俯く大介を見た。コートで押さえてはいるもののその下の膨らみは隠れきっていない。
「だからといってここまでしなくてもいいだろう、変態」
「だって、せっかく女の子になるんだし巨乳のほうがいいかな、って」
「おっきい方がいいじゃん」
「……あまり見ないでください」
 大介は出来る限り胸を隠した。男性陣からの視線が痛いし何よりタツキに抱きつくのに邪魔すぎる。以前めぐみが胸の大きさを自慢していたが、全く良いところが無いじゃないか。
「早く先輩を戻せ変態」
「明日には戻るさ、多分。とりあえずお兄さん、ちょっとハグしてもらってもいいかな?」
「あ、僕も!」
「いい加減にしろ! 雅也はなるべく早く先輩を元に戻す、ミツキはしっかり反省する。先輩は私と部屋で待ってましょう、こんな変態どもと一緒にいちゃだめです」
 ずるい、と呟いたミツキを睨みつけ、タツキは大介の手を引いて部屋を出た。
「すみません先輩、ミツキのせいでこんなことに」
「いえ、原因がわかってほっとしましたよ。あとはちゃんと元に戻れればいいんですけど」
 タツキは自分の部屋のドアを開け、大介と中に入り鍵をかけた。これで馬鹿2人も入ってこられないはずだ。
「あそこまで馬鹿だとは思わなかった」
「……ここがタツキさんのお部屋……」
 大介はゆっくりと部屋を見回した。以前泊まりに行ったときは雅也のせいでじっくり見ることが出来なかった後輩の部屋。落ち着いた雰囲気でところどころにぬいぐるみや小物が飾ってある可愛らしい部屋だ。部屋にいるだけでドキドキしてきたが不思議なことに鼻血が出る様子はない。これも体が女性になってしまったからなのだろうか。
「あの、タツキさん。もし良ければ服と下着を貸してもらえませんか」
「無理です」
「いえ、変な意味じゃなくて」
「だから無理です」
「このままだとやっぱり恥ずかしいのですが」
「……無理です。どう見ても違うでしょう、サイズが」
「な、なるほど」
 見比べてみると確かに違う、胸の大きさが。機嫌を悪くしたのかタツキがそっぽを向いた。
「……すみませんでした」
「別に、気にしてなんかいません」
 そう答えるタツキの顔は少し赤い。触れてはいけないんだ。話題を変えようと大介は辺りを見回した。外は静かで大介の身体も戻る気配がない。
「タツキさん。もしこのまま元に戻れなくなっても、僕のこと」
「別にそれくらいのことで嫌いになったりはしません、悪いのはミツキと雅也だし」
「それって僕のことが好きだってことですねタツキさん」
「違う、寄るなっ」
 タツキの身体を抱きしめる。いつもと同じで嬉しい、なのに鼻血が出てこない。調子に乗ってタツキに顔を近づけると、彼女のほうが顔を赤らめた。
「な、何なんですか」
「今気づいたんですけど、どれだけ貴女に近づいても鼻血が出ないんですよ。きっと女性になったせいでしょう、ですから今のうちに思う存分、貴女に接触しておくべきかと。ああ、すべすべしてて綺麗な脚ですね」
 普段なら撫でることすら出来ないであろう太ももに、細くなった指をゆっくりと這わせる。
「どこ触ってるんですか変態」
「変態、と言いますけど、校長先生はいつもタツキさんの脚をいやらしい目で見ているんですよ、この柔らかくて美しい脚を!」
「八木先生はそんなこと……くすぐったいからやめてくださいっ」
 鳥肌が立っている。大介は名残惜しそうに指を離した。
「校長先生のこと、美化しすぎていますよタツキさん。安易に校長室に入り浸るのはやめたほうがいいかと」
「別に入り浸ってなんか……先輩近いっ」
 どうも調子が狂う。タツキは大介を押しのけ、手を引いて男性陣のいる部屋に戻った。これ以上一緒にいると何をされるかわかったもんじゃない。

「ねぇおにいちゃん」
 ミツキは甘えるような可愛らしい声で大介に話しかけた。
 出来るだけ早く元に戻す、と約束し雅也は家に帰った。タツキは夕食の後片付けをしている。邪魔者はいない。
「こんなことしてごめんなさい。おにいちゃんがタツキちゃんと仲良くしてるの見てたら、何だかすごくむしゃくしゃしちゃって。おにいちゃんは何も悪くないのに」
「いいんですよ、もう」
「おにいちゃん……うわあぁぁん」
 ミツキが大介の胸に顔を埋める。肩を震わせて泣くミツキの背中を、大介はゆっくりとさすった。
「反省したならもういいんです、それより、僕とタツキさんがそんなに親しく見えたのですか?」
「うん、すっごくラブラブなカップルに見えたの」
「ふふ、そう見えたんですか」
 思わず顔がほころぶ。弟であるミツキが嫉妬するほど仲良しに見えたんだ。
「おにいちゃんごめんなさい」
 ミツキの腕に力がこもった。ぎゅっと抱きつかれて痛く感じるのは胸があるせいか、身体が細くなったからか。
「泣くのをやめて顔を上げてください、ミツキさん」
 顔を上げたミツキの頬が濡れている。大介は指で頬の涙を拭った。しばらく経って落ち着いたのか、ミツキが大介から離れた。
「あっいけない、お風呂に行かなきゃ」
「もうそんな時間ですか」
 そっと視線を下に向けるが身体に変化はない。今日中に戻れるとは言っていたが、本当に元に戻れるのだろうか。
「おにいちゃんも一緒に入ろっ」
「そうですね」
 いつもの流れで返事をした大介の手を引き、ミツキは邪悪な笑みを浮かべて風呂場へと向かった。

「……先輩?」
 タツキが夕食の片づけを済ませて居間に戻ると、テレビがつけっぱなしになっていた。部屋の中には誰もいない。ミツキは風呂に行こうとしていたが、大介はどこに行ったのだろう。
「……まさか」
 あの姿で一緒に風呂に入っては……いそうだ。変態だし無頓着だし、何も考えずにミツキについていったっておかしくはない。ため息をついた矢先に風呂場のほうから悲鳴のような声が聞こえてきた。
「先輩!」
 慌てて風呂場に向かったタツキに、腰にタオルを巻いただけの大介が抱きついてきた。
「タツキさん、戻りました! 元の姿に!」
「来るな変態!」
 すぐ目の前にある身体は間違いなく男性のものだ。変態のくせに鍛えているのか無駄に引き締まった身体をしている、どうでもいいことだけど。
「気がついたらこうなってまして。ああ、やっぱりこっちのほうがいいです、タツキさんの顔がこんなに近い」
 半裸の大介が鼻血を垂らしながらタツキに顔を近づけてきた。タツキが後ずさると大介が一歩踏み込んでくる。頬に荒い息がかかり鳥肌が立った。
「こ、来ないでください」
「お、おにいちゃん……」
 騒ぎ声を聞いたミツキが風呂場からポカンとした顔を出して2人を見ている。やがて大介が元に戻ったことに気づき、「ちぇっもうちょっとだったのに」と悔しそうに呟いた。
「ミツキ、やっぱり先輩とお風呂に入ろうとしてたのか」
「別に変なことしようとしたわけじゃないもん。おにいちゃん、このままじゃ大変だろうから身体洗うの手伝ってあげようと思って。ほら、僕タツキちゃんの裸見慣れてるし」
「昔の話だろう」
「ああ、なんてうらやましい」
 すぐそばで大介の視線を感じ、タツキは目をそらした。それでも舐め回すような気持ち悪い視線が絡み付いてくる。
「いくらこっち見たって、脱ぎませんよ」
「そんな。一緒にお風呂に入りましょうよ、未来の妻じゃないですか」
「あ、僕もー」
 ミツキが風呂場からこっちを見ている。手招きしているようだがタツキは無視した。上半身裸の男2人から顔を背けていると、玄関のドアの開く音が聞こえた。
「やぁ、お兄さん元に戻ったかい……」
 風呂場まで歩いてきた雅也が3人を見て目を丸くした。気まずそうにもじゃもじゃの頭を掻く。
「……お取り込み中、だったみたいだね」
「違うっ」
 タツキは大介を押しのけ、帰ろうとする雅也の後を追った。
「タツキさん……」
「タツキちゃん照れてるんだよ、おにいちゃんの身体がっしりしててかっこいいもん」
「そ、そうですか?」
 いつでもタツキを守れるようこっそり鍛えてはいたのだが、男らしく見られたのだろうか。
 いいなぁ、とミツキが呟きながら手を握ってきた。
「カゼ引いちゃう前に、一緒にお風呂にはいろっ」
「そうですね」

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