先輩の恋

 最近大介君がおかしい。
 年下の先輩がそう言っていた。
 岬は膝にチャイナドレス姿の新入部員を乗せたまま、彼女の肩越しに大介の様子を窺った。時々こっちを見てはため息をつき、ぼんやりと窓の外を眺めている。それなりにしっかりとした、クソ真面目な普段の部長とは確かに違う。
(頭でも打ったんじゃねーのか)
 ここ最近で彼の身に大きな変化はない。家族が亡くなったり病気にかかったりしたなら、友人であるチビも知っているはずだ。友達が知らないような、彼の変化となると。
(知らね)
 友人でも何でもない、ただの後輩にわかるわけがない。
 膝に乗せたタツキの髪を指に絡めて遊んでいると、ぼんやりとした顔の大介と目が合った。
「何だ」
「い、いえ……」
 慌てて目をそらした大介の顔色は悪くない。むしろ普段より血色が良いというか赤いというか……。
「む」
 身の回りに起きた変化、岬にも一つだけ心当たりがあった。
「なぁお嬢ちゃん、好きな人っている? いないなら今度一緒にデートしよっか」
 困惑する新入部員を、大介がじっと見つめていた。多分、これだ。
 岬はタツキの服のスリットに手を突っ込み、太ももを撫で回した。タツキが小さな悲鳴をあげる。
「な、なんてことをっ」
 大介が飛び上がった。視線をタツキに向けたまま、顔を赤くしてうわずった声でまくしたてる。
「うわあああやめなさい岬さん、嫌がってるじゃないですか」
「はいはい。ごめんなお嬢ちゃん、もう着替えてきていいぜ」
 タツキの髪を撫で、岬は彼女を個室に連れて行った。タツキが着替えている間に、岬は泣きそうな顔の大介に問いかけた。
「恋わずらいか」
「なっ……」
「お嬢ちゃんのこと、好きなんだろ」
「ぼ、僕は別に」
 図星だったようで、大介の顔がますます赤くなった。
「珍しいね、女に興味持つなんて。けどそろそろいつもの調子に戻ってくれないと。友達が心配してたぞ」
「ナツメさんが……?」
「じゃ、俺ちょっと出かけてくるから。お嬢ちゃんとイチャついてろよ」
「そんな、待ってくださいっ」
 情けない声を上げる大介を残して、岬は部屋を出た。
「ああああ……」
 大介はそっと個室のドアを見た。あの向こうで、あの可愛らしい後輩が着替えている。
「――っ、だめだ、岬さんみたいになっちゃ」
 深呼吸を繰り返し気を落ち着かせていると、個室のドアが開き、ブラウスと長いスカートに着替えたタツキが出てきた。
「あの、岬先輩は」
「出かけましたよ。そ、それより大丈夫でしたか、岬さんに身体を触られて」
 大介の問いに、彼女は小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
「いえ、困っている後輩を助けるのは当然のことです。また岬さんに嫌がらせをされそうになったら、いつでも僕に助けを求めてください」
 頷く彼女の視線が、大介に注がれている。黒目がちの大きな瞳、人形のように整った顔立ち。見ているだけで顔が熱くなってきた。
「あ、あの。もしよければ今度僕と食事に……もちろんナツメさん達とも一緒に、貴女の歓迎会を兼ねて」
「……はい」
 頷きとともに返事が聞こえた。
「あああありがとうございますっ」
 嬉しさのあまり大介は彼女に抱きついた。意外と小さくて柔らかくて、何だかとてもいい匂いがする。ずっとこうしていたい。
「……せんぱい」
 彼女の声で我に返り、大介はゆっくりと身を離した。
「す、すみません」
 様子を窺うと、彼女は恥ずかしそうに俯いた。
「あ、その歓迎会ですけど、いつにしましょう。都合の悪い日があれば教えてください」
「えっと、弟がいるから……あまり夜遅くならないほうが」
「なるほど、弟さんが。では皆さんの都合も聞いて、明るいうちにしましょうか」

「あれ、岬さん何やってんの」
 部室の前でしゃがみ込む岬に声をかけると、黙れチビ、と小さな声が返ってきた。
「今いいところなんだから静かにしろよ」
「いいところ?」
 岬がかすかに開いたドアから部室の中を覗き込んでいる。ナツメもドアに近寄り、そっと中の様子を窺った。友人が嬉しそうな表情で新入部員に話しかけている。しまいにはいきなり抱きついた。
「何これ、どーいうこと?」
 状況を把握しきれていないナツメに、岬はあきれた様子で答えた。
「あいつお嬢ちゃんに惚れてるんだってさ。んで恋わずらいにかかって様子がおかしかったってわけ」
「へぇ、大介君が」
 ナツメが複雑そうな表情で部室の中を眺める。
「何だ。お前も好きなのか、お嬢ちゃんのこと」
「いやそうじゃないけど……大介君に好きな人が出来たって初めて聞いたもんだから」
「へー、さっさとチューしろと思ったけど、邪魔してやろうか」
「やめときなよ見つかっちゃうよ」
 意地悪な笑みを浮かべる岬を引きずり、なんとか部室のドアから遠ざける。しばらくして、カバンを抱えたタツキが部室から出て行った。
「へへ、どうからかってやろうか」
「だめだって岬さん……もう」
 楽しそうに部室に乗り込む岬。ため息をつきナツメも後に従う。

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