とある日の夜

「ナツメお兄ちゃん、僕のいない間にタツキちゃんをいじめちゃダメだよっ。タツキちゃんの事泣かしたら、おみやげあげないからねっ」

 今朝クギをさすようにそう言ったおチビちゃんは只今修学旅行中。おチビちゃんがいない今、この家にいるのは部屋にいる可愛いお嬢ちゃんと、風呂上りの俺だけ。のはずだったが。
「どーしてついてきちゃったのかな〜、大介君」
 浴室から出ると、廊下に友人がいた。初恋の相手であるお嬢ちゃんが俺と2人きりになるのが気に食わないからという理由でわざわざついてきたのだ。お嬢ちゃんの部屋のドア付近に座り込んでいる彼は、俺の声に反応して顔を上げた。
「だって、タツキさんと貴方が2人きりだなんて……そんなの駄目です許しませんですっ」
「仕方ないでしょー、弟君修学旅行なんだし。それより大介君もいい加減風呂に入りなよ、服貸すからさー」
「でも……」
 口ごもった友人の顔がみるみるうちに赤くなる。
「その間に貴方がタツキさんとっ……いけませんそんな破廉恥ですっ」
 お嬢ちゃんのことになるとどうしてこんなにおかしくなってしまうのだろう、普段はもっとしっかりしているのに。
「何もしないって。変な事考えてないでさっさと風呂行け」
「へ、変な事なんて考えてません」
「えっ、鼻血出てるけど」
 友人が鼻を押さえる。お嬢ちゃんに一目惚れして以来、日に日に変人になっているような気がする。せっかくの男前も台無しだ。
「風呂行って鼻も洗ってきたら? 風呂に入らない不潔な人は嫌いだってお嬢ちゃんが言ってたぞ」
「行ってきますっ……あ、タツキさんですけど、『疲れたから寝る』そうですよ。僕におやすみなさい、って言ってくれました」
 ふふ、と笑い、嬉しそうな顔で浴室に向かう。平和な奴だ。
「寝るって……おいおい」
 お嬢ちゃんの部屋をノックしてみたが返事はない。思い切ってドアを開けると、廊下の明かりが部屋の中を照らしてくれた。部屋の電気は消えていて、ベッドが膨らんでいる。ゆっくりとベッドに近づくと、お嬢ちゃんの寝息が聞こえてきた。
「寝ちゃったかー」
 本当は起きていて欲しかったのだけど仕方ない。疲れているだろうし、それに……。
「……可愛い」
 可愛い寝顔が見られたのだから良いか。こんなに可愛い寝顔のそばで毎日一緒に寝ているおチビちゃんが羨ましい。
「……」
 耳を澄ますと、シャワーの音が聞こえる。まだ大丈夫だ。
 そっとお嬢ちゃんの顔に近づき、髪を撫でる。さらさらしている。
 普段はおチビちゃんのせいでろくに触れる事も出来ないんだ、泣かしてもいないしこれくらいいいだろう。ついでにほっぺたも触ってみる。柔らかい。
(これくらい、か……)
 四六時中お嬢ちゃんにくっつくおチビちゃんのせいで、これくらいの事すら出来ない。一方おチビちゃんは食事のときも寝るときも、風呂のときまでお嬢ちゃんと一緒だ。このままお嬢ちゃんのベッドにもぐり込んで身体じゅうベタベタ触りまくって、ぎゅっと抱きしめたまま眠ってしまってもバチは当たらないんじゃないだろうか、お嬢ちゃんさえ泣かなければ。おチビちゃん的にもいじめたり泣かしたりしなきゃセーフみたいだし。
「……ナツメさん」
 はっと我にかえって振り向くと、部屋のドアのそばに友人がいた。
「本当に貴方って人は、汚らわしい」
 いつも通り笑みを浮かべてはいるがどこか恐ろしい友人に連れられ、毎朝食事を取るテーブルについた。
「タツキさんの睡眠を妨害しようとするなんて……だから僕は貴方がタツキさんの家に同棲するのは反対なんです」
「同棲じゃなくて同居な。俺とお嬢ちゃんは遠い親戚で、ただの先輩と後輩なんだからさ」
 親父が死んで1人になった俺は、親父の知り合いだというお嬢ちゃんの母親に呼ばれてこの家に住むことになった。もう大学生だったし友人との共同生活に慣れたところだったから断ったのだが、人の話しを聞かないオバ……おかあさまに強引に連れられ今に至る。お嬢ちゃんと一緒に住んでいる、というだけで色々とうるさい友人に説明するのも面倒なので、お嬢ちゃんとの関係は「遠い親戚」という言葉で一括りにしている。
「でもタツキさんの貴方を見る目には間違いなく先輩以上の感情がっ」
「落ち着いて大介君……ケーキでも食べよっか、お嬢ちゃんの大好きなイチゴのケーキ」
「タツキさんの大好物……ああなんて可愛らしい」
 妄想の激しい友人に冷蔵庫から出したケーキを差し出す。本当はお嬢ちゃんと一緒に食べるつもりだったけど仕方ない。お嬢ちゃんにはまた今度買ってあげよう。
 ケーキを食べてしばらくすると、真っ赤になっていた友人の顔色が元に戻ってきた。
「落ち着いた? 何度も言ってるけど俺とお嬢ちゃんは大介君が想像してるようないやらしい関係じゃないんだ、お嬢ちゃんには弟君がべったりくっついてて指一本触れることが出来ないんだからさ。わかった?」
「ええ……」
 まだ疑ってるようだ。段々しつこくなっているような気がする。面倒臭いなコイツ。
「本当に厄介なんだよあの弟君、お嬢ちゃんと仲良くて寝るときも一緒だし。大介君だってあの弟君の前じゃお嬢ちゃんに抱きつく事なんて出来ないと思うよ」
「ふむ……タツキさんと弟さんはそんなに仲が良いんですか。でしたら今夜は僕が、弟さんの代わりにタツキさんと一緒に寝ます」
「なっ……ダメに決まってるだろっ。いつもみたいに裸で寝てごらん、お嬢ちゃん一生口きいてくれなくなるぞ」
「そんなっ、ダメですか」
 さすがにおチビちゃんも全裸で寝てはいないはずだ、多分。
「当たり前だろ。大介君、今日は俺の目の届くところで寝てくれよ」
「それはこっちの台詞です」
 散々協議した結果、2人で仲良く並んで眠るハメになった。
 翌朝起こしに来てくれたお嬢ちゃんは俺たちを見て怪訝な顔になり、しばらくの間よそよそしくなってしまった。

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