友達

 ――今日こそ、ちゃんと渡さなきゃ。
 純はシャツの胸ポケットを、上からそっと押さえた。ポケットの中に二つ折りに収まった小さな袋。その中に、綺麗に洗濯したハンカチが入っている。以前タツキに借りたハンカチだ。ちゃんと洗ったまではいいが返す機会がないまま数日が過ぎた。また洗いなおした方がいいのだろうか。
「それに、ちゃんとお礼しなきゃ」
 けれども何をしてあげればいいのだろう。食事に誘えば多分……野田先生が黙っちゃいないだろうし、そもそも小早川の言ったように彼女とは「友達」でいいのだろうか。迷惑していないだろうか。
 とにかく早くハンカチを返そう、そう思い校舎の中を歩くがタツキの姿は見えない。生徒の目を気にせずにすむ授業中のうちにさっさと返しておこうと考えていたのだが、彼女もまた授業中だったのだろうか。
「ううっ……」
 ドキドキしながら校内をうろついたのがいけなかったのだろうか、気分が悪くなってきた。身体は弱い方だけどまさかこんな時にこんなところで具合が悪くなるなんて。
「ほ、保健室……は」
 ――ここは何階だっけ?

 純が目を覚ますと視界には見慣れた保健室の天井が広がっていた。いつの間に保健室のベッドにたどりついたんだっけ?
「――仮病じゃねーし。それに俺、倒れてた純ちゃん助けたし別にいいじゃんかよー」
 カーテンで仕切られた隣のベッドから、小早川の甲高い声が聞こえてきた。どうやら彼に助けてもらったようだ。
「それとこれとは別でしょう? 純君助けたからってサボっちゃダメよぉ」
 のんびりとしためぐみの声も聞こえてきた。ああ、まだ授業中なんだ。
「それにしても純君ったら、何で2階にいたのかしらねぇ。用事も授業もないはずなのに……あら、起きてたの」
 カーテンから顔を覗かせためぐみが純の様子に気付き、手を伸ばして純の額を触った。
「うん、だいぶ顔色良くなったみたいね」
「あ、ごめんなさい、迷惑かけちゃって」
「いいのよぅ、お礼なら小早川君に言ってあげて。倒れてた純君を見つけて連れてきたの、小早川君なんだからぁ」
 純は身を起こし、小早川に向かって頭を下げた。
「こ、小早川君……ありがとう」
「別にいいって、俺ら友達じゃんか」
「ふーん、2人は友達なんだぁ〜」
 めぐみの好奇に満ちた目が2人を見つめる。こういうのも女子生徒に広まるのだろうか。
「ふふ、まだ疲れてるでしょうし純君はもうちょっとだけ休んでなさい。小早川君はぁ、ちゃんと教室に戻りましょうね〜」
「ええ〜っ」

「……またサボったのか、これで何度目だ」
「今日は違うよー。それよりタツキちゃん、もしかしてお見舞いに来てくれたの?」
 小早川はベッドから身を起こし、近くの椅子に腰かけているタツキに笑顔を向けた。
「違う。ほら教室に戻るぞ、じゃなきゃ校長室に行こうか」
 タツキはため息をついた。小早川の遅刻回数は減りつつあるものの、仮病を使って授業を抜け出し保健室でサボる事がたびたびある。小早川の祖父である校長からも何とかしてくれと言われたが正直どうしようもない。
「今日はサボりじゃねーもん。なんか頭痛いしさ、それに保健室に来る途中で倒れてた純ちゃん助けたんだぜ」
「純ちゃん……って稲村先生?」
「ほら、そっちのベッドで寝てる」
 小早川がカーテンをめくる。タツキが振り返ると、隣のベッドで純がすやすやと眠っていた。
「今日は人助けたんだし見逃してよ〜。純ちゃんもちゃんとありがとうって言ってくれたしさ」
「先生に馴れ馴れしい言葉遣いで話すのやめなさいって言ったでしょ……」
「だって友達だし……ん? タツキちゃん?」
 タツキが純の方を向いたままじっとしている。小早川はそっと身を乗り出しタツキの顔を覗き込んだ。
「……おおぅ」
 タツキがぼんやりと純を眺めている。その頬がほんのりと赤く染まっていた。
「ううう……」
 純が寝返りを打ち、しばらくして顔を上げた。小早川はそっとカーテンにくるまり身を潜める。
「あ、あれ……鬼頭せんせ……い?」
 視界に映る女性の姿。名前を呼ぶのと同時に「目的」を思い出し純はベッドから跳ね起きた。
「あああ、先生、あの。こっこれ返しますっ、遅れてごめんなさい」
 ハンカチの入った袋をポケットから取り出しタツキに手渡した。タツキは我に返り、まばたきをしながらその袋を受け取った。
「ああ……別に返さなくてもいいのに」
「でも鬼頭先生のだし、女の人が使うようなハンカチを僕が持ってても恥ずかしいし。それとですね、あの、お礼というか、先生に何か用事があった時はお手伝いでも何でもしますから教えてくださいっ」
「そこまでしてくれなくても……」
 続きを言いかけて口をつぐんだ。純が涙目でこっちを見ている。
「ううっ、お礼がしたいんですぅ……駄目ですか?」
「わかった、わかったから泣かないの」
「は、はいぃ」
 純はごしごしと服の袖で涙を拭った。やれやれ、と一息ついたタツキは後ろから胸を鷲掴みにされる。
「なっ……」
「なんか楽しそうだなタツキちゃん」
 つまらなさそうな表情の小早川が後ろからもたれかかってきた。
「小早川……校長室行くぞ」
「えーっ、俺これから授業だしー」
 ぱっとタツキから離れ、小早川は逃げるように保健室を出た。
「あいつ……」
 ポカンと口を開けて赤くなっている純を置き去りにしタツキは保健室を出た。

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