モーニング・コールは早朝で

 夕食も風呂も済ませ一通り片付けを終えたところで、大介はベッドの上に横になった。枕元の時計は9時過ぎを指している。テレビを観る気にはなれず、時計のそばに置いてある写真立てに手を伸ばした。写真の中で、一目惚れして以来ずっと見守ってきた最愛の後輩が微笑んでいる(もちろん隠し撮り)。その後輩のそばに、くせ毛の目立つ金髪の男。2人は親しそうに寄り添っている。
「タツキさん……」
 この写真を見るたびに、胸が締め付けられる。
 大介が見たことのない表情。
 一体どうすれば、彼女はこんな風に可愛く笑ってくれるのだろうか?
 写真を戻し、テレビのチャンネルを変えようとしたとき、かすかに玄関の方から音がした。
「今のは……まさか」
 近所の人や大家さんならチャイムを鳴らすはず。大介は玄関に駆け寄りドアの覗き穴に目を当てた。視界に黒い髪が映った途端、思わず声をあげそうになる。同時に手が動き、無駄に大きな音を立ててドアが開いた。
「たっタツキさん、どうしたんですか」
「相談したいことがあって……」
 遠慮がちに顔を上げたタツキは、大介の上半身に冷たい視線を投げそっぽを向いた。
「ああすみません、まさか貴女が来るとは思わなかったので。ちゃんと服着ますからこっち向いてください」
 慌ててシャツを着るとようやく彼女の視線が戻ってきた。
「急にどうしたんですか、連絡してくれればすぐにお迎えに行きましたのに」
「そこまでしてくれなくていいです」
「でも貴女のような美しい方が夜道を歩くなんて危険ですよ、怪我はないですか?」
 何気なく肩を抱くと、タツキが顔をしかめた。
「先輩、痛い」
「わわ、すみません……もしかして、怪我してるんじゃあ……」
 手を放した大介から離れ、タツキは自分の服の袖に手をかけた。
「だから相談に来たんです」

「つまり、弟さんが暴れて貴女を。その時に腕を引っかかれてしまったわけですね」
 大介の問いにタツキが頷く。ケンカしたとはいえ、タツキによくなついているはずの弟のミツキが彼女に物を投げつけたり腕を引っかいたりするなんて想像できない。
「甘やかしてばかりじゃ駄目だと思ったんですけど……叱りすぎたみたいで」
 確かに、タツキの弟は歳の割には幼く、大介が思わず引き離してしまいたくなるくらいタツキにべったりしている。何とかすべきなのだろうけど、兄弟のいない大介にはどうすればいいのかわからない。
「先輩は無いんですか、家族とケンカしたり暴れたりしたことは」
「僕は……無いですね。すみません、せっかく僕に相談してくれたのに役に立てなくて」
 タツキがため息をつく。口を閉じたまま俯いている彼女を見て、大介はますます申し訳ない気持ちになった。
「ああそうだタツキさん、何か飲み物でも飲みますか? 貴女の好きなオレンジジュースもありますよ」
「自分で取りに行きます」
 立ち上がる代わりに冷蔵庫の場所を教えると、タツキがそこに向かっていった。
「先輩は飲まないんですか?」
「じゃあ僕はお茶を」
 冷蔵庫の中のお茶を探すタツキを見て、大介の頬がゆるんだ。
「こうして見ると、なんだか夫婦になったような気になりますね」
「なりません」
 ふくれっ面のタツキからお茶の入ったペットボトルを受け取る。彼女は缶の飲み物を選んだようだ。
「あ、貴女それお酒ですよ、お酒に弱いって言ってませんでしたか」
「いいんです、今日は」
 それほど今日の出来事がショックだったのだろう。顔をしかめつつ、ゆっくりと酒を飲んでいく。
「ミツキさんの件、今回だけだといいんですけどね。あんなに貴女になついてるんです、きっと今頃反省してますよ」
「だと良いんですけど。ちゃんと反省して、せめて1人で寝れるようになってくれれば」
「1人でって、今は一緒に……弟さんがうらやましい」
 相手が歳の離れた幼い弟だとわかっていても嫉妬してしまう。
「うらやましくなんかないです。ちゃんと自分の部屋があるのに人の部屋に入ってくるんですよ。自分の部屋に戻るように言ったら、泣きそうな顔でこっちを見るし。一体どうすれば……」
「仲が良いんですね、僕達もそれくらい仲良くなりたいものです……そうだタツキさん、いっそのこと僕と結婚しましょう、そうすればミツキさんも1人で寝るようになりますよ」
「何で先輩と結婚しなきゃならないんですか、嫌ですよそんなの」
 手を握ろうと大介が伸ばした手を払い、タツキは机に突っ伏した。
「嫌、ですかね、やっぱり」
 大介はタツキの顔を覗き込んだが、長い髪に隠れて彼女の表情はわからない。
「いやです」
「でも僕達仲良しじゃないですか。貴女だって、相談目的とはいえわざわざ僕の家まで来てくれましたし」
「他に頼る人がいないから、仕方なくここに来たんです」
 確か、近所に住む幼馴染みはふざけてばかりで役に立たないと言っていた。親しい友人はいないはずだし、今回の件では弟に相談することなんて出来ない。それに、「彼」も今は彼女のそばにいない。
「それでも嬉しいですよ。今回はお役に立てませんでしたが、いつでもここに来て下さって構いませんからね」
 返事が無い。大介はそっと、指で彼女の髪をかき上げた。
「ふふ、寝顔も可愛いですね」
 疲れていたのか酒のせいなのか、彼女は目を閉じてすーすーと寝息を立てている。
「普段からこれくらい穏やかな顔をしてくれればいいんですけどね」
 大介はしばらくの間タツキの寝顔を眺めていたが、はっと我に返り時計に目をやる。
「いけない、タツキさん起きてください、お家に帰らないと弟さんが心配しますよ」
 体を揺さぶると、目をこすりながら彼女が起き上がった。長い髪のすき間から彼女の頬が見える。心なしか普段より青白く見える。
「大丈夫ですか、少し顔色が悪いようですけど……トイレでしたらあっちです」
 口元を押さえふらふらとトイレに向かう。大介は心配になったが、さすがにトイレの中にまでついていくことは出来ない。しばらくすると咳き込むような声が聞こえた。
「あああ大丈夫ですかタツキさあぁぁん」
 様子を見に行くと、トイレのドアが開いている。大介は思い切ってドアの向こう側を覗いた。
「大丈夫ですか、髪の毛が汚れちゃってますよ」
 そばに駆け寄り、トイレットペーパーで髪の汚れを拭う。
「今すぐお風呂沸かしますから」
「いい、シャワーだけでいい」
 大介に支えられ、タツキはふらつきながら隣の脱衣所まで歩いた。
「でも具合悪そうですし、ちゃんと体を温めたほうがいいかと……ってわわ、いけませんタツキさん、いくら将来僕のお嫁さんになるからってそんな、はしたないですよっ」
「うるさい」
 ぺたりと床に座り込み服を脱ぎ始めたタツキを見て、大介は顔を赤くした。しばらくの間視線をそらしていたが、ボタンを外す手は止まらない。大介は耐えられずに脱衣所を飛び出した。しばらくして聞こえてきた風呂場の戸の閉まる音とシャワーの音に安堵したのも束の間、段々と大きくなっていくガタンガタンという音に大介は青ざめた。
「わああああ」
 慌てて脱衣所に戻り洗濯機のスイッチを止める。そのままタツキの上着を引っ張り出してポケットをまさぐると、家のものと思われるカギと指輪の付いたペンダントが出てきた。
「あ、危なかった……これは大事なものですからね」
 他に何か入っていないか確認し、再び洗濯機のスイッチを入れる。
「ふう。あとはドライヤーと、着替えも準備しなきゃいけませんね」

 なんとかドライヤーを探し当て、脱衣所に置くことが出来たが。
「か、可愛くない」
 着替えになりそうな服を探してみたが、なかなか見つからない。どれもタツキが着るにはサイズが大きいし、男性用だし、地味な服ばかりだ。
「何てことだ、タツキさんに似合う服がないなんて」
 一人暮らしの男性の家に女性用の服が一通りそろっている方が珍しいのだが、大介は必死でタンスの中を漁った。
「次までにはきちんと用意しておかねばなりませんね」
 とりあえず一番小さそうな服を選び、他の服を畳んでいると、ぺたぺたと足音がした。
「あ、タツキさん。お着替えを用意したんですけど」
 返事をせず、タオルを体に巻いた格好でタツキはベッドに倒れこんだ。
「あああそれじゃあカゼ引いちゃいますよ、それにまだ髪の毛が濡れてますし。起きてくださいタツキさーん」
 眠っているタツキの顔色は、先程よりいくらか良くなっているようだ。仕方なく彼女を抱え、きちんとベッドに寝かしつけた。軽く髪を乾かし、洗濯物を赤面しながら干してベッドに戻る。
「これは見られてませんよね」
 彼女の目に触れないよう、写真立てを伏せた。見つかるときっと、写真立てごと没収されるか目の前で写真をビリビリに破られるだろう。
「お布団は1つしかありませんし、仕方ないですよね」
 寝る準備をして、そっと彼女の隣にもぐり込み電気を消した。ちゃんと温まることが出来たのか、思わず触れてしまった彼女の肌は自分よりも熱い。
「ちゃんと明日説明しなきゃいけませんね、これは。それにしても、お酒に弱いとは聞いていましたが、まさかこれ程とは」
 この様子ではお酒に酔わせて婚姻届にサインさせる奥の手が使えない。
「そんな事をしなくても良いくらい、もっと仲良くなれたらいいんですけどねぇ」
 彼女の体を抱きしめ、大介は眠りについた。

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